生きづらさの背景にあるもの
札幌市中央区にあるカウンセリングオフィスプログレスの向 裕加です。
昨日までの気温の高さとは一転して、今日は最高気温が20℃になるかならないか…という肌寒さですよね。暑さが苦手な私としては、お盆を過ぎても一向に涼しくならないこの天気にヤキモキしていたので、ようやく過ごしやすい気温となって嬉しい限りです。涼しくなったので、以前ブログでも紹介させていただいた『昼飯晩飯 でら』でカレー南蛮うどんをランチにいただきました。前から気になっていたのですが、これを食べたら汗だくになること間違いなしだったので、食べることができなかったのです。予想通り、とっても美味しいお出汁のカレー南蛮でしたよ。オススメです!
と「勝手にオススメ」シリーズになるのかしら?というのは牽制でして、今日はちょっと真面目なお話(いつも真面目ですけどね!)をさせていただきたく思います。
みなさんは、今までに「生きづらい」と感じたことがありますか?
何か特段ショッキングな出来事や大きな問題があるわけでもなければ、症状があるわけでもない。むしろ、”ふつう”の家族で育ち、”ふつう”に生きてきたはずなのに、何となく「辛いなぁ」「生きにくい」と思うことがある。過去形になりますが、私には「生きづらい」と感じていた時期がありました。
そう感じている大抵の人は、生きること全般に対して「生きづらい」と感じていますが、実はそれはそう漠然としたものではありません。「ある特定の何か」に対して「生きづらい」と感じているのですが、”ふつう”に生きてきたし、特段ショッキングな出来事に遭遇したわけでもないので、その「ある特定の何か」が何であるのかをハッキリと認識することができないのです。そんなときは、自分の一番身近な家族との関係性を見直してみると、そこにヒントが隠されているかもしれません。
私は今年の2月で40歳になりましたが、30代のはじめくらいまでは漠然とした「生きづらさ」を抱えて生きていました。”ふつう”のサラリーマンの家庭に生まれ、”ふつう”に育てられ、”ふつう”に生きてきました。両親は”ふつう”に仲が良く、二世帯住宅で一緒に住んでいた祖父母とも”ふつう”に仲良くしていました。何不自由なく生活することができているにもかかわらず、漠然とした「ポッカリとした穴」のようなものが、いつも私のこころの中にはありました。その「ポッカリとした穴」のようなものが、私の「生きづらさ」そのものだったように思います。
あることをきっかけに、私は自分の家族との関係を見直したことがあります。それは30代前半の頃でした。
北海道は本州ほど家制度がきっちりとしていませんが、向家は他の北海道の人に比べると、割と家制度にこだわりを持っている家庭でした。同居していた祖父は本家の長男で、父も長男で跡継ぎ。ですから、子どもにはもちろん「男児」が期待されていたのですが、生まれてきたのは女の子ばかり。母は私の前にひとり流産(これも、また女児)をしているので、妹の後にもう一人産むということは体力的に無理でした。向家には、跡継ぎの男児は生まれてこなかったのです。
男ではなかったからと言って冷たく扱われたことはなく、むしろ可愛がってもらった方だと思います。でも、私は「女の子」であることに、小さい頃から悩まされていました。というのも、何かにつけて「ユカが男だったら良かったのに…」ということを一緒に住む祖父母から言われていたからです。
自分で言うのもなんですが、小さい頃から、何でもそこそこできた方だと思います。それほど人見知りや物怖じをせず、割とリーダーシップを発揮できるタイプでした。勉強もそこそこできましたし、習い事でやっていたバトントワリングや珠算では、全国大会に出場したことがあります。中学の頃に書いた読書感想文で、札幌市教育委員会の優秀賞をいただいたこともあります。地元では誰もが知っている進学校に入ったことも留学したことも、大学院に進学したことも、祖父母は全て誇りに思ってくれた一方で、いつも「男だったら、どんなに良かったのに…」ということを付け加えることを忘れませんでした。
ですから、私は小さい頃から「男の子に負けたくない」といつも思っていましたし、「生まれ変わるなら、絶対に男!」とも思っていました。度々繰り返される「男だったら、どんなに良かったのに…」という祖父母のセリフは、「私が女だからダメなんだ」という考えを私に刷り込み、私は「男に勝たなければ認めてもらえない。男と肩を並べて歩けなければならないんだ」と、男の人に対して一方的に敵対心を抱いていた可愛くない女でした。でも、頑張れば頑張るほど、結果を出せば出すほど、「男だったら、どんなに良かったのに…」が消えていかないんですよね。むしろ、強まる一方。私は自分で自分の首を絞めては、苦しくなっていたのでした。
両親が、そんなセリフを口にすることはありませんでした。むしろ、祖父母のいないところで「そんなことは気にしなくていい」と言ってくれるのですが、祖父母の前では、真正面から彼らに反論することはありませんでした。「男じゃなくても、立派にやっているんだから、それで十分じゃないか!」そうキッパリと祖父母に言ってくれたなら、私の気持ちも少しは救われたかもしれません。
また、女の子らしい女の子も大嫌いでした。こころのどこかで、「女の子らしく振る舞ったら、さらに周りをガッカリさせるに違いない」とも思っていたのでしょう。女の子らしくミニスカートを履いたり可愛らしい格好をしたりすること、髪を伸ばすこと、女の子らしく仕草や振る舞いをすること…。無意識のうちに、全て自分に禁止していました。ですから、自分が禁止していたことをいとも簡単にやりのけてしまう、女の子らしい女の子にイライラさせられていたのです。
以前にアップした『告白』というタイトルの記事の中で、付き合っていた彼が別の女性の元に行ってしまった話をしましたが、その彼が選んだ相手は、まさに私が一番嫌いなタイプの女性。それを知った私は「女としての私」を全否定された気持ちになり、「女として生きていく自信」を失ったのでした。
女に生まれた以上、男になることはできないのに、女であるからという理由だけで、いくら頑張っても認めてもらえない。そして、女であることを一番認めることができないのは、私自身。男にはなれないし、だからと言って、女になりきることもできない。どうあがいても応えることのできない祖父母の期待に、自分を責める術しか知らなかった私の「生きづらさ」は、「女であること」に対する「生きづらさ」であり、その原因は、まさにここにあったのです。そう気付くまで30年以上かかったこともあり、自分の気持ちに整理をつけることができるようになるまで、ややしばらくの時間を要しました。
どう頑張っても男にはなれないこと、男の人と無駄に張り合わなくても良いこと、女らしくすることは悪ではないこと、そして、誰がなんと言おうと「私は私で良い」ということ。
それまでに経験した色々な感情や想いと向き合いながらたどり着いた先には、確固たる答えがあったわけではありません。しかし、私の人生の主人公は他ならぬ私であり、家族とはいえども他人が書いた脚本に添って生きる必要はないのだという気づきが、私のこころの中にあった漠然とした「ポッカリとした穴」を埋めてくれたような気がしています。それ以降、不思議と人間関係も恋愛も仕事も落ち着いて、こころ穏やかな日々を過ごせているように思います。
家族との関係は距離が近過ぎるが故に、見えてこないものが多いものです。また、「家族は仲良くあるべき」といったような家族神話がまだ根強い日本社会では、家族に対してネガティブな感情を抱くことをタブー視しているようなところがあり、それが家族との関係を客観的に把握することを難しくさせているのも事実です。しかし、その家族との関係性を見直すことで「生きづらさ」が和らぐ可能性はあるのです。
どのような家族のもとに生を受けるのかは、まさしく運命そのもの。それ自体を変えることはできなくとも、どう生きるかを変えることは可能です。「運命を、変えよう」。あなたのその勇気、応援します。
カウンセリングオフィス プログレス
臨床心理士 向 裕加