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『夫のちんぽが入らない』のは母のせい?

札幌市中央区大通にあるカウンセリングオフィス プログレスの向 裕加です。

昨晩、遅くまで仕事だったパートナーの代わりに「サロマ湖100kmウルトラマラソン」のエントリー(申込み)をしました。「100km走るって、車でですよね?」という世間一般的な感覚をお持ちの方には信じられないことかも知れませんが、サロマ湖100kmマラソンはとてつもなく人気のある大会で、先着定員3000名の枠が30分もしないうちに埋まってしまうんですよ!

マラソンのエントリーは今やネットでするのが定番なのですが、先着ともなると、かなりの人数の人がアクセスしようと試みるので、なかなか繋がらないんですよ!もちろん、昨日も繋がりにくくなっていて、私はVAIO、Macbook air、iPhoneの3台を駆使してエントリーを試みていたのですが、全然繋がらない…。20分以上繋がらない事態に陥って、半ば諦めかけていたところ、ようやく繋がりました!そして、無事にエントリー完了!その数分後には受付終了。めちゃくちゃ心臓に悪い20数分でした。でも、パートナーにとってはサロマ湖100kmマラソンはとても特別な大会なので、本当に繋がってよかった!私も使命を果たすことができて嬉しかったです。

さて、繋がらない…と言えば(ちょっと強引ですかね?笑)『夫のちんぽが入らない』。先日のブログで紹介させていただいた小説です。ザックリとしたストーリー展開は、前回のブログをご参照いただきたいと思うのですが、今日は『夫のちんぽが入らない』ことと母子関係の関連性について考えてみたいと思います。

著者のこだまさんである「私」は、夫以外の男性とはすることができても、夫とセックスすることが一度もできたことがありません。その理由や原因は小説の中では一切触れられていませんが、こだまさん自身は、ある対談の中で好きな人と性的な行為をすることに対する嫌悪感があると語っていました。しかし、ハッキリと「これだ!」という理由は、ご本人にもまだ分からないというのが実際のところなのかもしれません。ですから、これは私自身の勝手な憶測でしかありませんが、「私」と「母」との関係にヒントがあるのではないか?と思っています。

「醜い、可愛くない、不細工、愛嬌がない」などと幼い頃から母に罵られ、みんなが言えないことを言う母の言うことが真実だと思いながら育ってきた「私」。感情が不安定で、あたりを憚らずに怒鳴り、手を上げ、募った苛立ちが爆発したときには「私」を床やアスファルトに叩きつける母。そんな母から妹たちを守るためにも、母を怒らせないようにする方法ばかりを探っていた「私」。

母に植え付けらた”呪詛”は、「私はダメな人間だ」「すべて私が悪い」という思い込みを生み出し、無意識のうちにその思い込みは「私」の中で”真実”として扱われるようになったのでしょう。自己肯定感を高めることができず、自己評価や自尊心も必要以上に低いまま大人になってしまったのも無理はありません。

”子供を産みたいと思ったこともない。我が子を怒鳴りつけ、手をあげる母を見て育ったせいか、私には子を持つ喜びよりも、その煩わしさばかりが目に付いてしまう。決して子供を嫌いなわけではない。むしろ大人よりも子供のほうが好きだ。だけど、自分の子供を産みたい、育てたいという気持ちは一度も芽生えてこなかった。”

こう思ってしまうのは、幼少期からの母子関係が大きく影響していることはみなさんも容易に察することができるかと思います。また、子どもができてしまったら、煩わしさから「私」も自分の母のようになって、子どもを傷つけてしまわないだろうか?といった不安や恐れもあったことも推察できます。『夫のちんぽが入らない』ことには妊娠はできません。無意識レベルで抱いていた「母になることへの恐怖心」が、「私」と夫の身体的レベルでの性的な繋がりを寸断してしまっていたのかもしれません。

また、子どもが生まれ、自分の母のようになってしまったときに夫との関係性が寸断されてしまうのでは?という無意識レベルでの恐怖心もあったようにも思います。

「私」が結婚の挨拶のために夫と実家を初めて訪れたとき、「私」の父と夫との間でこんなやり取りがされます。

”「うちの娘は気が利かないし、はっきりものを言わない。思っていることを全然言わんのです。まったく情けない限りですよ」
  「そうですか?僕はこんな心の純粋な人、見たことがないですよ」
 あのときも夫は迷いなく、まっすぐ言ったのだった。”

母だけでなく父でさえも、”気が利かないし、…情けない限り”と評価する「私」を、迷いもなく、そして、まっすぐに全面的に肯定し、受け入れてくれる夫。他人に言うことができない秘密を共有する唯一のパートナーであり、彼女の唯一の味方である夫。そんな夫に見捨てられないためにも、”良い母親”にならなければならない。でも、そんな自信はどこにもない…。そんな「私」を励ますつもりで「あんたの産む子が悪い子に育つはずがない」と夫は言い切るけれども、不安が強い人、自分に肯定感が持てない「私」にとっては、知らず知らずのうちに「良い母親」になることへのプレッシャーになっていたのかもしれません。

『夫のちんぽが入らない』のは母のせいだとしたら、どうやったら入るようになるの?

それは、私には全く想像もつきませんが、ユングという心理学者が提唱した「母親殺し」というコンセプトがヒントになるかもしれません。「母親殺し」は、実際に母親を殺すということではありません。人間の心理的な成長のためには母親と対決することが必要であるということを説明するために「母親殺し」という表現を用いたのです。

母親には二つの側面があります。「無条件で愛を与えてくれる」「受け入れてくれる」といった、私たちが広く一般的に持っているポジティブなイメージと、「束縛する」「呑み込んでしまう」というネガティブなイメージ。人間が一人前になる、つまり、精神的に自立するためには、そんな母親と対決をし、それに勝ち、殺してしまうことが求めらると考えられているのです。

父が言うように「私」は思っていることを全然言いません。それは、母に対しても同じで、母と対決することすらできていないのです。幼い頃ならまだしも、大人になってからも対決を回避していて、母の呪縛に囚われたままなのです。

「私」が思っていることを、母に言葉にしてみたらどうなるんだろう?「私」が感じていることを、母にぶつけてみたらどうなるんだろう?「母親殺し」に決着がついたとき、真の意味で、初めて「私」は「自分殺し」から解放されるのかもしれません。

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臨床心理士  向 裕加

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