35年前の記憶がもたらした気づき(その2)
札幌市中央区大通にあるカウンセリングオフィスプログレスの向 裕加です。
東京から戻ってきてからというものの、何かと天気の悪い札幌。涼しいを通り越して「肌寒い」とさえ感じるのですが、やはり風邪をひいたっぽいです。東京滞在中から喉の奥にイガイガ感があったのですが、普段は使うことのないエアコンのせいだろうと思っていたら、昨晩から時々咳が出るようになりました。同じ日本とはいえ、北海道と東京では気候が全く違うので、いつの季節でも、旅から戻ってきた後の体調管理は本当に難しいな〜と痛感させられます。みなさんも、くれぐれも体調管理にはお気をつけくださいませ!
さて、今日は昨日の続きをお話しさせていただこうと思います。
三連休のセミナー中のこと。あるエクササイズをしているときに、「自分に制限を加えているのは、他ならぬ自分自身である」ことに気づきました。なにかにつけて、「そんなことできる訳ないじゃん」と心の中でリフレインする声。その声がどこからやってくるのかな?と思っていたときに蘇ったのが、昨日のブログでお話しした記憶でした。
「大したできもしない」んだから、そんな高い望みや理想を持ってはいけない。
大きな夢に向かって羽ばたきたいという願望を抱きつつも、心のどこかでそうすることは「身の丈知らずだ」と自分自身に言い聞かせて禁止し続けてきたのは、きっと「大したできない」と言われて傷ついた幼い頃の私の心が、そうさせてきたのだと気づかされました。
また、自分自身が成し遂げてきたことについても、「大したできない」自分が達成したことだから、それほどのことでもないだろう…と正当な評価ができなかったのでしょう。留学していたことやTOEICの点数、今まで積んできたキャリア…etc.、他人から「素晴らしいですね!」「すごいですね!」とポジティブな評価を受ける機会は、ありがたいことにたくさんあります。
でも、それに対して、表面的には「ありがとうございます」と受け取ることができたとしても、心の中では「そんなに言われるほどでもないのに…」と素直に受け取ることができず、一種の居心地の悪さをずっと感じていました。「大したできもしない」自分が、そんな賞賛を受けても良いのか?そんな葛藤をいつも抱いていたように思います。
でも、「大したできない」と思っていたのは自分自身ではなく、35年前のある女の子の言葉が”あたかも”(←ここがPOINT!)自分の声として内在化されたもの。セミナー受講中に「大したできないゆか」は、実は他者が作り出した人物像であることが判明したことで、自分自身の可能性にリミットをつけなくても良いし、自分自身をもう少し評価しても良いのでは?と思えるようになったのです。
それは、長年私の心の中でモヤモヤしていたものが、スーッと消える瞬間でもありました。
おそらく、当時の私は幼すぎて気づかなかったのですが、「大したできない」と言い放った女の子は、私に劣等感を植えつけることによって、自分の思い通りの状況を作り出そうとしていたのでしょう。つまり、彼女自身が抱く「選ばれなかった」ことに対する怒りなどの感情は、本来であれば彼女自身で解決すべき問題なのですが、問題の矛先を「大したできもしないゆかちゃん」に向け、私が全校生徒の前で作文を読まないという決断を下させることによって、彼女は自分の問題を解決しようと試みたのです(成功はしませんでしたが…)。
心の専門家として「この問題は、本来は誰の問題であるのか?」という”線引き”ができるようになった今だからこそ、もたらされた新たな気づき。35年という長い歳月がかかりましたが、得たものはとてつもなく大きなものだったように思います。
このような素晴らしい気づきの機会を与えてくれたセミナー講師の石ケ森久恵さんに感謝すると同時に、わざわざ三連休を犠牲にして、東京で開催されたセミナーに参加しよう!と決意した自分自身にも「大したもんだ!」(笑)と褒めてあげたいと思います。
カウンセリングオフィス プログレス
臨床心理士 向 裕加