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あなたのこころの声、本当にそれはあなたのものですか?

札幌市中央区大通にあるカウンセリングオフィス プログレスの向 裕加です。

今日から2月ですね。2月最初の今日は、10時から5月21日に開催される洞爺湖マラソンのエントリーが受付になりました。早速私もエントリー。

洞爺湖マラソンは2014年以来の出走。
これは、人生2度目のフルマラソン完走でした。これから3年の月日が経過していますが、どのくらい成長したものか…。去年は春以来、あまり思うように走ることに時間を費やすことができていないので、このエントリーを機に、”ちゃんと”練習しようと思います。

さて、みなさんは、ご自身の口癖を把握されていますか?

私は、よく”ちゃんと”という言葉を会話の中でも使うことが多いですし、頭の中に浮かぶセリフ的な考えでも、この”ちゃんと”という言葉が出てくることが多いです。「ちゃんとしなくちゃ!」と思うことは頻繁ですし、”ちゃんと”していない人にイライラすることもしょっちゅうです。今はそうでもなくなりましたが、30代前半くらいまでは、”ちゃんと”という言葉に振り回されていたように思います。

話は変わるのですが、私の父方の叔母夫婦は千葉県に住んでいて、何十年も前から、秋になると千葉名産の梨を実家の両親に箱で送ってきてくれます。もちろん、去年もいつものように送ってきてくれて、実家に帰った際、私も数個お裾分けしてもらい、美味しくいただきました。

その叔母夫婦が、去年の秋、亡くなった祖母の一周忌の法要に参加するために札幌に来ていたときのこと。法要の会場が琴似にあるお寺で執り行うことになっていたため、私の両親が街中のホテルに泊まっている叔母夫婦を車で迎えに行き、その後、私をピックアップして、みんなで会場入りすることになっていたのですが、琴似のお寺に到着して車を降りた途端、母が私にこう告げました。

「お姉ちゃん、”ちゃんと”お礼を言ってね」

車の中でみんなで話をしていたときに、私が叔母夫婦に梨のお礼を言わなかったのが、母にとっては気が気ではなかったのでしょう。私も決して忘れていたわけではありません。わざわざ、私の両親がいる前で言うのもスマートではないと思っていたので、頃合いを見計らってお礼を言うつもりでした。「わかってるよ。忘れていないから心配しないで」。そう母に告げたところ、母は「”ちゃんと”お礼言ってくれないと、親が笑われるんだからね」と付け加えるのを忘れませんでした。

思い返せば、小さい頃から「”ちゃんと”しなさい」と言われ続けてきました。例えば、友達の家に遊びに行くときは「”ちゃんと”何か持って行きなさい」と、必ず小さくても何かしらの手土産を持っていくことを教えてくれたのは、他ならぬ母でした。私にとってはそうすることが「当たり前」になっているのですが、若いときはそれを「しっかりしているわね」と評価してくださる年上の方も大勢いらっしゃいました。

そういう意味で、躾をしっかりしてくれた母には感謝をしています。しかし、よ〜く考えると、”ちゃんと”しないと…の後には「笑われるのは親」「私(母)が恥ずかしい思いするんだからね」というフレーズが、もれなく付いてきていたんですよね。

これって、潜在的なメッセージを投げかけています。「親に恥をかかせちゃいけません」「親が笑われるようなことをしてはダメです」「親が非難されるようなことをしちゃいけません」などといった禁止のメッセージと、「イイ子でいなさい」というメッセージ。子どもがイイ子でいる限り、親としては他者から非難される不安を抱かなくて済むのですから、結局のところ、親の不安解消のために”ちゃんと”という言葉が使われているんですよね。

「”ちゃんと”しなさい」と言われた方は、「自分がちゃんとしていないから、そう言われるんだ」「自分は”ちゃんと”してないダメな人間だ」という考えが無意識のうちに刷り込まれます。しかも、”ちゃんと”という言葉は、とても曖昧で抽象的。加えて、その基準は、人によって異なります。そうすると、何をどうやったら良いのかわからない、そして、それをどこまでしたら”ちゃんと”になるのかわからないという混乱も生じやすいのです。だからこそ、「もっと、ちゃんとしなければ!」と際限なく頑張ってしまう、悪循環のループに陥りやすかったりもするのです。

何度も同じことを言われると、親の声が知らず知らずのうちにこころの中に定着してしまいます。実際に親に言われなくても、勝手にこころの中で「”ちゃんと”しなさい!」と親の声が自分の声になりすまして、勝手にリフレインしちゃうんですよね。自分の声になりすましちゃっていることもあって、私たちはその声が発するフレーズをあたかも自分の考えだと思い込んで、疑問にすら思いません。ですから、いつの間にか「”ちゃんと”しなくちゃ!」と自分で自分を追い込むようになってしまいます。そして、自分に禁止されていることを平気でできちゃう”ちゃんと”していない人を見ると、”ちゃんと”しようと頑張っている自分が否定されたような気持ちになるので、イライラしたりする訳です。この辺りのメカニズムが理解できると、”ちゃんと”という言葉に振り回されることも少なくなると思います。

去年の祖母の法要でのエピソードに戻りますが、母に「お姉ちゃん、”ちゃんと”お礼を言ってね。”ちゃんと”お礼言ってくれないと、親が笑われるんだからね」と言われて、私は「70近くにもなってもまだ、自分が他人にどう思われるかを思っているだなんて、なんて不憫な人なんだろう」と思いました。

年老いても、自分がどう思われるか、非難されはしないか?と不安に思っている母の問題は、あくまでも母の問題であり、私の問題ではない。母との関係において苦しく思ってきたことを丁寧に整理すること、そして、私なりに母と自分の間の境界線を引くことができたことで、私は”ちゃんと”という言葉に振り回されることが少なくなりました。また、「その”ちゃんと”って何。どういう意味?”ちゃんと”してない=ダメなの?」と自分で自分に突っ込みを入れることができるようになって、頑張り過ぎて疲弊することも、そして、やみくもに自己卑下することも少なくなりました。

あなたのこころの声は、本当にあなたのものでしょうか?

生きにくさから解放されるヒントが、ここにあるかもしれません。

カウンセリングオフィス プログレス
臨床心理士  向 裕加

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