七飯町・小2男児置き去り事件に思う
札幌 大通にあるカウンセリングオフィス プログレスの向です。
今朝、ラジオを聴きながら支度をしていたところ、
28日から行方不明になっていた七飯町の小2の
田野岡大和くんが見つかったとのニュースが飛び込んできました。
本当に良かった!その一言に尽きます。
この一件については、私は自分の過去と重ね合わせながら、
その行方を追っていました。
先に言っておきますが、
私が山林に置き去りにされたことがある
ということではありませんのでご心配なく!
今も昔も変わらない子どもにとっての一番の恐怖は
「親に捨てられる」ことだと思います。
ひとりで生活する能力がない子どもは、
親の庇護なしでは生きていくことはできませんから、
それは当然のことですよね。
そして、その子どもの恐怖心に働きかけて
親が子どもを躾けることは、昔からよくある話でした。
ハッキリとは覚えていないのですが、おそらく
私が小学校に入るか入らないかくらいの頃だったと思います。
きっと、私が何か悪いことをしたか、
親の言うことを聞かずにダダをこねていたのでしょう。
そんな私を窘めようとした母に
「あなたは幌平橋の下で捨てられていた。
可哀想だったから拾ってきたんだよ」
と言われたことがあります。
4歳違いの妹が生まれた後、近所のおばさんたちが
口々に「あら〜、ママにそっくりね!」と言うのに、
誰一人として私が母に似てるとも、父に似てるとも
言ってくれなかったことを思い出して、
「どおりで誰も私がママにもパパにも似てるって言わない訳だ!」
と、更に悲しくなって泣いたことを今でも鮮明に覚えています。
単なる「橋の下」ではなくて、「幌平橋」と実際に
私の生活の身近にある具体的な橋の名前を出されたのも、
母の話にリアリティを持たせたのでした。
多分、母はそんなことを言ったことすら覚えていないと思うのですが、
私は、未だに時々そのことを思い出しては、悲しい気持ちになることがあります。
子どもの私にとっては、それほどショッキングな発言だったのでしょう。
私は子どもにしては、しっかり者の子どもだったと思います。
「将来の夢はお嫁さん!」と答える子どもではありませんでした。
物心ついた時から、漠然とながらも、学校に行ってたくさん勉強をして、
仕事に就いて、結婚しても子どもを産んでも仕事は続けるものだと
思っているようなところがありました。
それは、どこかで
「私は拾われた子ども。両親の本当の子どもではない。
また捨てられるときが来るかも知れない。
そのときは誰も頼れないし、ひとりで生きなければならない。
自分がしっかりしないと。頑張らないと!」
といった無意識レベルでの不安が私をそうさせたのではないか?
と自己分析しています。
両親は愛情を持って私を育ててくれましたし、
私は両親の子どもであることに間違いはありません(笑)!
両親のお陰で自立した大人にもなれたので、
両親の躾は間違えではなかったと思うのですが、
頼ったり甘えたりするのが下手で、
なんでも抱え込んでしまう癖を手放すことができるまで、
ややしばらく時間がかかりました。
それが故にたくさんの悩みを抱えていたのも事実です。
子どもは大人が想像する以上に真っ直ぐで素直です。
きっと、大和くんのご両親も、しつけの”つもり”で
悪意はなかったのだと思います。
でも、ほんのちょっとしたことでも
子どもは真正面から受けとめてしまうものなのです。
「僕は両親から見放されてしまった。
生きていくためには、頼れるのは自分しかいない。
自分が頑張らないとダメなんだ!」
大和くんは、不安と心細さに押し潰されそうな自分を
そうやって鼓舞しながら、森の中を歩き、
辿り着いた森の中の小屋で夜を過ごしたでしょうか?
そう想像するだけで、切なさが込み上げてきます。
今回の出来事で大和くんのこころには
なんらかの傷ができたと思いますが、
傷はその後の手当て次第で回復することは可能です。
お父さんが取材に対して
「今までも愛情をいっぱい注いできたが、
今まで以上に息子の成長を見守っていきたい」
とおっしゃっていたように、
ご家族の愛情で大和くんのこころの傷が
一日でも早く癒えること、
そして、ご家族の日常に一日でも早く
落ち着きが戻ることを願ってやみません。
カウンセリングオフィス プログレス
臨床心理士 向 裕加